5月から6月へ。 1年の折り返し地点が迫っています。 毎年のことながら「気づいたらもう半年だ」という言葉が出ることを予感しています。 今生きている以上、1日1日を過ごしてきたことに間違いはありません。 それは知っているはずなのに、ふと一息ついた時に1ヶ月、半年、1年があっという間に過ぎた気がします。 我にかえるとでも言いましょうか。 もしかすると、「気づいたら」という瞬間は、自分が生きている時間を受け止めている時なのかもしれません。 そう考えると、一生の中で生きていると実感できる時間は、どれだけあるのだろうかと思います。 何気なく過ぎているような1日も、一生懸命過ごす1日も、私が生きた1日であることに変わりはありません。 1日が等しく尊いものであることにも変わりありません。 それを知っていても「気づいたら」と口から出るのは、私の気持ちが日々の色々なことにとらわれてしまっているからでしょう。 「人は慌ただしく、忙しく、日々を過ごしている。慌ただしさと忙しさに心をとらわれてしまうあまり、命が1日と共に着実に過ぎていくことになかなか気づけずにいる。」 中国の僧侶が多くの人に向けた言葉です。 その言葉からは 「自分の生きている時間、自分の命を受け止める日々を過ごしてほしい。」「日々の尊さを感じて過ごしてほしい。」という願いが感じられます。 手を合わせる時間をいただく時、 「生きていると感じる時間」「命を見つめる時間」を恵まれていると思う私がいます。
さて、6月は専証寺 報恩講をお勤めします。 親鸞聖人の御命日のお参りです。 日程は以下の通りです。 13日(お昼1時から) 14日(お昼1時、夜6時) 15日(午前10時) お寺の中はワックスがけが終わりました。 6月4日には境内清掃もおこないます。 大切な法要として今年もお迎えいたします。
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