25日、26日、27日 永代経を無事に勤める事ができました。 ご講師の菅先生には3日間にわたり、熱の籠った御法話をいただきました。 「覩見(とけん)」隅々まで余す事なく見尽くす 〜私のことを隅々まで見尽くした阿弥陀如来は、「とてもじゃないがこの者はどうにもならないだろう」と思ったことだろう。腹の中を見てみれば、次から次へと煩悩が湧き上がっている。「とてもじゃないが自らそれを律することがこの者にはできぬだろう。」と思いになったに違いない。 阿弥陀様はそれでわたしを見捨てるのではなく、「どうにもならない者も必ず私が救い遂げる」と誓い、必ず救うと仰られている。本堂の阿弥陀様も、仏壇の阿弥陀様も、仏様は私の方を必ず見て下さっている。その姿勢が崩れることは決して無い。目を逸らさずに私を見てくださっている。 その眼差しを受けていると感じた私は「何もできないとしても、言葉が何一つ見つからないとしても、苦しさ、切なさ、辛さから目を逸らさずにいよう」そう思えたのです。 ※話はここからさらに展開されていきます。 勿体無いのですが、一部切り抜きで書かせていただきました。 3日間とも、多くの方にお参りいただきました。 ようこそお参り下さいました。 ありがとうございました。
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